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春はお彼岸

2018-02-21更新

 春はお彼岸(ひがん)です。秋にもありますね。
太陽が真西に沈む「春分の日」と「秋分の日」。
この日を「彼岸の中日」(ちゅうにち)として、前後3日を含んだ7日間を彼岸会(ひがんえ)と呼びます。
きっとインドの大陸に沈む夕焼けがとてもきれいで、遙か西の彼方に美しい西方浄土があると考えたのでしょう。
 

 

 さて、彼岸とはどういう意味でしょうか。
「彼岸」という言葉は、インドの古語であるサンスクリット語の「パーラム」から来ています。
煩悩(ぼんのう)の火が消えた涅槃(ねはん)の世界のことで、向こう岸「彼岸」にあると言われています。

 
 煩悩は108あると言われますが、トップの3つを毒にたとえて三毒といいます。
「貪りの心」「怒りの心」「愚痴の心」がそうで、仏教では「怒り」を「瞋り」の字で書きあらわし、「貪瞋痴(とんじんち)の三毒」と呼んでいます。
一番は「貪り」の(とん)でしょうか。
お金がほしい、地位がほしい、ひとに好かれたい、成功したいと自分のうつわ以上のことをしてもなかなか手に入るものではありません。
すると自暴自棄になって怒りがわいてくる。これが「瞋」(じん)いかりです。
怒って正常な判断ができなくなって愚かなことをしてしまう。これが「痴」(ち)すなわち愚かです。
 

 
 人間の住むこの世はこちらの岸で、「此岸」(しがん)と言い、煩悩が多く、問題山積みの地です。
「此岸」を、サンスクリット語で「サハー」と言います。
これを中国の漢訳で「娑婆」と言い、日本に来て「しゃば」となりました。
この世のことを「しゃば」と言うのは、ここから来ています。
「此岸にいては幸せになれないからいつか彼岸に渡る」ということが、仏教のテーマと言えます。

 

 では、どうやって渡るのでしょうか。それは仏の教えを実践して、渡ることになります。
これを波羅密(はらみつ)と言い、6つあります。
・布施(ふせ)ほどこすこと
・持戒(じかい)戒を守って生きること 
・忍辱(にんにく)堪え忍ぶこと
・精進(しょうじん)雑念を交えず努力すること
・禅定(ぜんじょう)座禅をし、心を落ち着つかせること
・智慧(ちえ)波羅蜜の実践によって得られる智慧のこと
仏の智慧をいただいて此岸から彼岸に渡ります。
ここでいう「智慧」は仏の教えのことで、日頃使っている「知恵」は生きていく上での学問・知識、本で読んだ事、人から聞いた事、役に立つ知識等のことで別物です。

 

 

 仏の智慧のことをサンスクリット語で、「プラジュニャー」と言いますが、口語では「パンニャ-」と言います。
これが中国で漢訳されて「般若」(はんにゃ)となります。音訳ですから、漢字の意味は考えません。
「般若の面」はご存じですね。この面には、怒りと悲しみが彫り込まれています。
仏の智慧を一言で言い表すのは大変ですが、智慧が無くなるとこうなるということを表しています。

 

 彼岸は「パーラム」、渡るというのは「イター」と言います。
つまり、パンニャーをもって、パーラムにイターせよ。
続けて言うと、パンニャー、ハーラム、イター。
パンニャーハーラムイター、ハンニャハラミタとなり、音訳した漢字をあてると「般若波羅密多」(はんにゃはらみた)となり、般若心経の冒頭に出てくるフレーズがこれです。

 

 

 何もあの世(彼岸)に行かずにこの世(此岸)で、仏の智慧である六波羅蜜をもちいて煩悩の火を消して、幸せに生きることを考えてみようというのが、彼岸の意味となります。

 

 たとえば、混んでいる電車に乗ったとします。
仕事の帰りで疲れているので、空いている席を探し腰掛けます。そこに老人が現れます。席を譲ると「布施」です。
しかし、同時に病人、妊婦など譲るべき人が多数現れた時には、どなたに譲るか答えに窮します。
ここで、はじめから座らないというのも「布施」です。この座席を必要としている方々に、自身で決めて貰えば良いのです。
疲れた体で吊革につかまってがんばっていれば、それは「忍辱」です。
「だいたいもっと多くの人が座れるようにしておけば良いんだ」などと雑念が浮かびますが、「たくさんの人を乗せるにはこれでいいんだ」と考え直せれば、それは「精進」です。
そして心を落ち着かせ、立っていながら「禅定」に至ります。
こうして電車に乗るだけでも、六波羅蜜(ろくはらみつ)のいくつかが実践できます。
 

 煩悩の火を消すには、水をかけても灰神楽(はいかぐら)が立って汚れるだけです。
火を燃やしている薪(まき)をくべなければ、火は自然と消えます。
嫌なことがあってカッとなったとき、数秒我慢すれば気持ちは治まります。
ここで心に任せて反撃に出ると、相手との間や周りに長く問題が残ります。
カッとなって怒りの薪をくべることをしなければ、煩悩の火は自然と消えていくでしょう。

 

 

 彼岸は春と秋にあります。春分の日と秋分の日の中日を真ん中に、前後三日有りますから、それぞれ「布施」「持戒」「忍辱」と「精進」「禅定」「智慧」を実践し、挟まれた中日で彼岸に思いをはせることができれば良いですね。

 

 キリスト教は、人々を教会によんで説教をしてくれます。
教会の塔にある鐘は「カーン、カーン」と鳴っていますが、「Come、Come」と呼んでいるようにも聞こえます。
仏教は向こう岸に行ってしまうことがテーマです。
お寺の鐘をつくと「ゴーン、ゴーン」と鳴りますが「Gone、Gone」と言っているようには聞こえてきませんか?